お知らせ
【京都五條天神宮】~義経(牛若丸)と弁慶 最初の出会い~
こんにちは(^_^)
どうしても住まい近くと平安時代から抜け出せない私です・・・。
ちゃんと、チェックアウト前に、ちょっと時間があるなぁという時に、
ホテル近くのお散歩スポットをご案内していきます♪
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「悲劇の英雄」って誰を想像しますか?
私は源義経と坂本龍馬です♪
今回は、その源義経の幼少時代「牛若丸」のお話しです。
(※え・・・また平安時代・・・?)
京都の五条大橋では、牛若丸と弁慶が出会ったことで有名ですね。
※実際は旧五条通の「松原通」にある「松原大橋」という話もありますね。
ところが、牛若丸と弁慶がはじめて出会ったのは、鴨川の五条橋でなく
五条天神社であったことが室町時代の『義経記(ぎけいき)』にございます。
弁慶は太刀千本を集める願をかけ、夜な夜な京の町を徘徊していました。
999本まで奪って満願まであと1本となり、五条天神社に祈願して待つ弁慶の前に、
見事な黄金つくりの太刀をさした牛若丸が笛を吹きながら現れました。
弁慶はその太刀を奪おうと決闘となりましたが、牛若丸は「六韜(りくとう)」の
技を用い、素早い身のこなしで姿を消してしまいました。
太刀をあきらめきれない弁慶は、清水寺に詣でる牛若丸を待ち受け、
再び挑みましたが敗れ、やっと降参して家来になりました。
以後、亡くなるまで忠実な家臣として仕えることになります。
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五条天神社は、別名「天使の宮」「天使社」と呼ばれていましたが、
※なんてメルヘンなネーミング♪
後鳥羽天皇の時代に 「五條天神宮」と改名されました。
余談ですが、京都のかっこいい地名で言われるのが、
このあたり「天使突抜(てんしつきぬけ)」です。
当社の境内は、中々広く、周囲は森で囲まれていたとされますが、
天正14年(1586年)、豊臣秀吉が京都に通りを新設(天正の地割)した際、
敷地内の鎮守の森などを貫通したことから一帯の地名が「天使突抜(てんしつきぬけ)」になったとされます。町内には「東中筋通」があり、通りの一部が昔は「天使突抜通」と記されていたりしたそうです。
かっこいい♪
天使がスカートみたいなヒラヒラをまくり上げ、全速力で素足で走っている姿・・・
羽が邪魔!!と叫んでいる姿・・・
見えますか・・?
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当館を右に出て、一筋目の「西洞院通」を右に曲がり、7分ほど歩いた「松原通」を過ぎてすぐ道なりにございます。
雰囲気抜群!!
手水舎には、牛若丸と弁慶が描かれた手ぬぐいが・・・
西洞院側
松原通側