お知らせ
【京都西陣】~戦争と油とお酒~
白い季節の風に吹かれ、寒い冬がやってきている京都です。
いつだったでしょうか。
テレビで「京都を空襲から救った日本人女性」という番組をみて、興味深くなりました。
ざっくり申し上げますと、金融王モルガンと結婚し、
京都を救った祇園の芸妓「お雪」を取り上げておりました。
熱烈にお雪を愛した夫モルガンは40歳ほどの若さで死去、かつての恋人も急死。
お雪は夫の友人を通じて、京都に爆撃しないように働きかけたおかげで、
京都は空爆から逃れたと伝わっている、素敵なお話しです。
そもそも太平洋戦争で「京都は空襲が無かったから文化財が残っている」とよく耳にしますが、合計5回(6回?)も空襲を受けているのですよね。
最初は東山区の馬町に爆弾が投下され、その後、春日町空襲(右京区)、
太秦空襲(右京区)、京都御所空襲(上京区)、
そして我が通勤路(京都出水七不思議で有名な?)、西陣空襲(上京区出水)です。
京都への原爆投下をめぐっては、新婚旅行で京都を訪れたことがある、
スチムソン陸軍長官が反対し続けたと言うお話しもありますが、
1945年5月の時点でスチムソン氏は、マンハッタン計画を指揮したグローヴス准将に対して、
京都を候補から外すように求めたが、京都の軍事的、産業的重要性から難色を示された。
その後スチムソン氏はトルーマン大統領にアプローチし、一度は京都が候補から外れた。
7月になってグローヴス氏は京都を再び候補に戻そうと試みたが、失敗に終わった。
結果「京都が最終的に候補から外れたのは7月」で、そのまま8月の終戦を迎えたために結果として大規模な空襲を逃れたというわけなのですね。
いやいや十分大きな被害をもたらした空襲です。
私がよく通る道の民家にも、画像のように掲示がございます。
そしてこの西陣の空襲跡の近くに「山中油店」という老舗がございまして、
水車もあり、池には鯉も泳いでいて、素敵な散歩コースです。
この界隈の方々が昔、「山中油店さんの土地で嵐山まで行ける」と言っていた程の規模の老舗。
今でもその風格が十分に残る建物です。
そのお店のショーウィンドウに爆弾の破片が展示されております。
犠牲者を思うと「空襲は無かった」と無きものにする訳には行きませんよね。
少し歩くと、佐々木蔵之介さんのご実家「佐々木酒造」さんがございます。
お土産に油とお酒ゲットできますね~~
日曜はお休みです
素敵なお庭♪
山中油店の油を使用した料理が食べられる「綾綺殿 (リョウキデン)」